言いたい放題


by pussochkram85

洗礼の証

洗礼をするときに、どうしてクリスチャンになったのかという証(testimony)をする。
以下は私が読み上げたもの。忘れないように、刻み付けるように、ここに置いておきたい。
本当は英語でやったんだけど。それにしてもちょっと長い。
でも、クリスチャンになることは、何よりも神様と良い関係を築く事だ、と知ってもらえたら嬉しい。
そしてもっと知りたいって思ってくれたらとても嬉しい。
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これから証しする内容は、私がどのようにしてクリスチャンになったのか、
そしてどれ程までに神様が私を辛抱強く待ってくださったかについてです。

「私は何なんだろう」この疑問は、私の中でずっと抱き続けていたものです。
とても長い間、私は自分自身のことが嫌いでした。
この疑問は、そんな感情から生まれたものだと思います。
どうして、こんなに我侭で偽善的な私がいまだに生きていて、
罪のない赤ちゃんが死んでいくのか、疑問でなりませんでした。
自分自身に価値を見出せず、自らを傷つける事もありました。
傷つける事でしか、生きている事を感じる事ができなかったのです。

私は、3歳から15歳まで、カトリック系の学校に通っていました。
宗教の授業を通して、キリスト教について、聖書について学びましたが、
残念な事にこの12年間の教育も私の疑問に答えてくれる事はなく、
私のどうしようもない自己嫌悪の感情に何の変化ももたらす事はありませんでした。
そんな私が、どのように神様と出会ったのでしょうか。

全ては、18歳のときにマンチェスターに来た時から始まりました。
ある時私は、友人の誕生会で行ったパブで、教会に通っていた日本人の方と
知り合う機会がありました。私の親友がキリスト教に興味があった事もあり、
話が進み、私たちは彼の通うこの教会を訪ねる事になったのです。
教会で、私たちはトレバーとシェリルに出会いました。
彼らの神様への献身、日本人の方々のために、毎日言葉に言い尽くせないほど
素晴らしい仕事をこなしている彼らとの出会いは、とても感動的でしたが、
私の頭の中ではまだ、「私はキリスト教については学びつくして、
この宗教は私を助けてくれるものではない」と考えていたのです。
それからしばらくして、私の周りの友人が興味をもって聖書を学ぶ会に
毎週出席するようになりました。私も取り残されたくない一心で、
参加するようになり、そうやってもう一度キリスト教について学ぶ事になったのです。

学びの中で一番驚いたのは、クリスチャンとして生きるという事は、
自分が弱いものであるとまず認め、神様と親友のような関係を築き、
導いていただく事だという事実でした。
私は、神様が私と同じような立場で接してくださるという宗教を、
今までに見た事はありません。何よりも、神様がおられるから、
自分はもろく、弱い立場であって良いのだという事は、何よりの驚きでした。
そのように1,2年程聖書を学び、私はクリスチャンになる決心をしました。
20歳前後であったと記憶しています。

ではなぜ、洗礼を受けるまで3年もかかったのでしょう。
私には勇気がなかったのです。別な言い方で言えば、
私は神様との関係を、真剣に考えていなかったのです。

この3年間で、たくさんの事がありました。その中で、皆さんに証ししたい出来事があります。
私がうつになった時の事です。私は2006年の冬頃から1年間ほど、
うつ状態でした。学業もままならず、日本に一時帰国し、半年ほど療養していました。
3ヶ月ほど、毎日毎日、横になって天井を眺めるか、眠っているかの生活は、
非常に辛い経験でした。そんな中でも私は、無意識に聖書を持って帰ってきていて、
読む事はなくても、ベッドのそばにおいていました。
その後体調が少し回復してきてから、聖書を何気なく開いた時に、
私はハッとしました。何気なくめくったページは、詩篇の139節でした

「主よ、あなたはわたしを極め、私を知っておられる。
座るもの立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる…
私の舌がまだ一言も語らぬ先に主よ、あなたはすべてを知っておられる」。

これを読んだとき、昔友人が「神様は、美紗の言葉にする事ができない辛い事も、
沈黙の叫びすらも、わかっておられる」と言ってくれた事を思い出したのです。
この箇所を読みながら、私は泣いていました。
今までの苦しみ、言葉にしきれなかった感情、神様は全て知っておられたのです。
彼は私の隣にずっとおられ、彼ただ一人が、私の苦しみを一緒に背負ってくれたのです。
それを知ったときに、私が長年抱いていた疑問が解けました。
私は何なのだろう:私は神の子供であり、彼に従うものなのです。
神は私のために死んでくださり、私は、彼に与えられた使命を果たすために
この世界に生きているのです。

神様は私を2度、目覚めさせてくださいました。一度目は聖書を学びなおしたとき、
そして二度目が私が鬱状態だったときです。

私はとても弱く、欲望だらけの人間です。
いつでも楽な方へ進んでしまう癖があります。
私が何度も道を外れるたびに、神様は辛抱強く私に道を示してくださり、
私が戻ってくるのを待っておられました。
私が戻ってくるたびに、神様は祝福してくださいました。
今までに出会ったすばらしい友人達は、祝福の最もたるものです。
私にとって友人は、かけがえのない財産であり、宝物のような存在です。
今日、私はこの教会で洗礼することにより、公に私がイエス様を信じ、
教えに従う事を表明します。
ここまでたどり着くのに、また1年程かかりましたが、
神様はまたも、辛抱強く、私に鮮明なイメージを用いて、洗礼を受けるように導いてくださいました。
最後に、今日こうして集まってくださったたくさんの友人に、また私を覚えてくれている遠くの友人たちに、
感謝します。そして、皆でこの場所で幸せを分かち合う事が出来る事に、感謝します。
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by pussochkram85 | 2009-10-31 12:50 | 神と歩む