言いたい放題


by pussochkram85

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悲しみを、正直に見つめる。

私は飽きもせずよく、落ち込んでるけど、今日はちょっと不思議だ。
うわべの悲しみでなくて、私の奥の奥の悲しみと、本質的な醜さが、ちょっとだけ垣間見えた。
知らないうちに鍵をかけて見えていなかった、黒い箱が心のタンスにあった。
神様は、それを私に見せてくれた。力と知恵を、ちょっとだけ与えてくださったんだ。
赤黒くて汚いものだった。膿だらけで。腐って、動物臭い、意地汚い卑しい自分。

誰かがその感情の原因になっていたとしても、何かがきっかけで私が悲しかったとしても、
その感情の持ち主は私だから、悲しいという感情は、私の責任で処理する。
これは、私の仕事。


24年目。私は、ようやく「本当」の私を知り始めた。
ちょっとずつ、成長してる。
感謝。
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高原剛一郎氏のブログで、
私も前から考えていた事を、ばっちり書かれていたので紹介。

人は、根本的に一人だという事。
周りの人や、家族、恋人、友人、いろんな人に支えられて生きているけど、
私は、その人たちの気持ちを、いつでも、100%理解できる事なんてない。
そして彼らは私の気持ちを全て理解できるわけではない。
私たちは、別々な個性を持って造られているからだ。
同じ出来事に遭遇しても、感じ方は十人十色だ。

でもそれは、別に孤立しろってことではなく、孤独であるって言う事実なだけ。
孤立は、他人が認めてくれない事や、他者に受け入れられない寂しさから、
物理的に全てから距離を置く事。
孤独になって初めて、自分を知って、向き合えると思う。
孤立と、孤独は、違います。と氏は書かれる。
イエス様は、弟子たちや人々に理解されなかった点では「孤独」だったけれど、
「孤立」してはいなかった。むしろ、弟子たちと人々を心から愛された。
すごく納得。

人生で一番はじめに心打たれた聖書の箇所、詩編139は
神様だけは、私の言いたい事や考えてる事をご存知だと語る。
これを読んだときは、失恋したときで、今思うと、
「依存」から抜け出る試練の只中にあって、この言葉と出会ったんだと感じる。
頼り、頼られる事で存在意義を確認していた。勿論それもいいんだけど、
そこに私が求めていたものは、生ぬるい現実逃避と、不安定なつながり。
相手の本質や、弱さ、強さ、良いところ、悪い所を受け入れて、相手に私のすべてを認めてもらって、
共に生きる、という事ではなかった。
私の場合、あれはただの依存だったんだと今なら言える。

「私がいるではないか」と高原氏が書かれた一言に、
涙が止まらなくなった。あなたがいる。あなたは、いる。今ここに生きてる。
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by pussochkram85 | 2010-02-23 08:51 | 神と歩む