言いたい放題


by pussochkram85

<   2009年 10月 ( 10 )   > この月の画像一覧

私の一瞬を、文章に表してみよう。


お腹の中に何かたまってる。ちくちくする痛みだ。
ふあん?
でもここに吐き出して、ずいぶんすっきりした。
たまってんなー。


夜明け前の一瞬、風がとまる瞬間。
海の波が引けていくとき。
もういっそ、私も連れて行ってくれと。
泣いたのはいつの事か。
今は生きる。生を喰らい、生きながらえよう。



「谺(こだま)している、またキミのコエが谺してる
俺の好みの化粧(メイク)が邪魔してる
キミの虚ろな素顔(フェイス)を探してる
淡いシャドウの奥の瞳は何色?
答えはいつも玉虫色
イッツ・ショウ・タイム 晒すぜ正体
未知の実りにご招待」

(椎名林檎「流行」)


ねっとりと甘いタバコとシャンプーのにおい。くさった花のにおいがする。
うーん、会いたい。
[PR]
by pussochkram85 | 2009-10-31 22:16 | 詩とか、考えた事

alma etc






星が見たい。


海が見たい。


空が見たい。




ああ、帰りたい。





---------------------

何が正しいかなんて、わかんないんだ。
多分、正しくなんかなくて、いいんだ。


あなたの魂を、もっと聞いてあげてください。


息をして、笑って、泣いて、微笑んで。
愛して、触って、キスをして。
生きて、死んで、歩いて、走って。
食べて、飲んで、歌って。
祈って、話して、悲しんで。

人間の営みが、美しい。
[PR]
by pussochkram85 | 2009-10-31 14:09 | 詩とか、考えた事

閉鎖的な子供


私が子供のとき、物凄く変だった気がする。
子供って往々にして変なんだけれど。

周りの人間とか、どうでもよかった。
大体の子供がそうするように、外で元気に遊ぶことはあんまり覚えてなくて、
ただひたすら、本が大好きだった。その割には、お気に入りもなかった気がする。

イマジナリー・フレンドがいたわけでも、飛躍したファンタジーの中に生きているわけでもなかったけれど、

変に人生悟った感があって、そういう自分が嫌いだった。
小学校の夢が「おばあちゃんになって縁側でお茶飲みながら眠るように死にたい」だった気がする。

子憎たらしくて、それが自分の子供ならどうしていただろうか。


2つ年下の私の妹と私は、同じ服を着せられて育った。おそろいの服、おそろいの髪型、おそろいの靴。

それは素敵な服ばかり着せられていた覚えがある。
大嫌いだった。
スカートとか、フリルとか、頭のリボンとか、花とか、ピンクとか、大嫌いだった。
別に今思うと何てことない事に、子供時は異常な憎しみを持っていた。
服にはまったく興味を示さなかった。

妹と比べられることは、とても辛かった。
宿題が終わっていないと告げ口されて、「お姉ちゃんなのに」と怒られ、
ご飯を食べながら眠ったら外に放り出され(当たり前だと思うが)、
けんかすると「お姉ちゃんだから許してあげなさい」となだめられた。
妹は、私にとって永遠にこえられない壁であり、永遠のライバルであり、永遠の妹だ。

一緒の部屋で眠っていた私たちは、怖いときに手をつないで寝ていた。
ある日、手をつないで、と妹に言われた私はそれを冷たいくらいに拒否した。
何を言ったかも覚えていないけれど、怖いものは見えないものではなくて、見えるものなんだと
知った時だったと記憶している。

ゆがんだ鏡にうつった自分が、哀れに思いながらも大嫌いな子供だった。
今の私は、どうなんだろうか。
[PR]
by pussochkram85 | 2009-10-31 13:55 | 暗め

洗礼の証

洗礼をするときに、どうしてクリスチャンになったのかという証(testimony)をする。
以下は私が読み上げたもの。忘れないように、刻み付けるように、ここに置いておきたい。
本当は英語でやったんだけど。それにしてもちょっと長い。
でも、クリスチャンになることは、何よりも神様と良い関係を築く事だ、と知ってもらえたら嬉しい。
そしてもっと知りたいって思ってくれたらとても嬉しい。
-----

これから証しする内容は、私がどのようにしてクリスチャンになったのか、
そしてどれ程までに神様が私を辛抱強く待ってくださったかについてです。

「私は何なんだろう」この疑問は、私の中でずっと抱き続けていたものです。
とても長い間、私は自分自身のことが嫌いでした。
この疑問は、そんな感情から生まれたものだと思います。
どうして、こんなに我侭で偽善的な私がいまだに生きていて、
罪のない赤ちゃんが死んでいくのか、疑問でなりませんでした。
自分自身に価値を見出せず、自らを傷つける事もありました。
傷つける事でしか、生きている事を感じる事ができなかったのです。

私は、3歳から15歳まで、カトリック系の学校に通っていました。
宗教の授業を通して、キリスト教について、聖書について学びましたが、
残念な事にこの12年間の教育も私の疑問に答えてくれる事はなく、
私のどうしようもない自己嫌悪の感情に何の変化ももたらす事はありませんでした。
そんな私が、どのように神様と出会ったのでしょうか。

全ては、18歳のときにマンチェスターに来た時から始まりました。
ある時私は、友人の誕生会で行ったパブで、教会に通っていた日本人の方と
知り合う機会がありました。私の親友がキリスト教に興味があった事もあり、
話が進み、私たちは彼の通うこの教会を訪ねる事になったのです。
教会で、私たちはトレバーとシェリルに出会いました。
彼らの神様への献身、日本人の方々のために、毎日言葉に言い尽くせないほど
素晴らしい仕事をこなしている彼らとの出会いは、とても感動的でしたが、
私の頭の中ではまだ、「私はキリスト教については学びつくして、
この宗教は私を助けてくれるものではない」と考えていたのです。
それからしばらくして、私の周りの友人が興味をもって聖書を学ぶ会に
毎週出席するようになりました。私も取り残されたくない一心で、
参加するようになり、そうやってもう一度キリスト教について学ぶ事になったのです。

学びの中で一番驚いたのは、クリスチャンとして生きるという事は、
自分が弱いものであるとまず認め、神様と親友のような関係を築き、
導いていただく事だという事実でした。
私は、神様が私と同じような立場で接してくださるという宗教を、
今までに見た事はありません。何よりも、神様がおられるから、
自分はもろく、弱い立場であって良いのだという事は、何よりの驚きでした。
そのように1,2年程聖書を学び、私はクリスチャンになる決心をしました。
20歳前後であったと記憶しています。

ではなぜ、洗礼を受けるまで3年もかかったのでしょう。
私には勇気がなかったのです。別な言い方で言えば、
私は神様との関係を、真剣に考えていなかったのです。

この3年間で、たくさんの事がありました。その中で、皆さんに証ししたい出来事があります。
私がうつになった時の事です。私は2006年の冬頃から1年間ほど、
うつ状態でした。学業もままならず、日本に一時帰国し、半年ほど療養していました。
3ヶ月ほど、毎日毎日、横になって天井を眺めるか、眠っているかの生活は、
非常に辛い経験でした。そんな中でも私は、無意識に聖書を持って帰ってきていて、
読む事はなくても、ベッドのそばにおいていました。
その後体調が少し回復してきてから、聖書を何気なく開いた時に、
私はハッとしました。何気なくめくったページは、詩篇の139節でした

「主よ、あなたはわたしを極め、私を知っておられる。
座るもの立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる…
私の舌がまだ一言も語らぬ先に主よ、あなたはすべてを知っておられる」。

これを読んだとき、昔友人が「神様は、美紗の言葉にする事ができない辛い事も、
沈黙の叫びすらも、わかっておられる」と言ってくれた事を思い出したのです。
この箇所を読みながら、私は泣いていました。
今までの苦しみ、言葉にしきれなかった感情、神様は全て知っておられたのです。
彼は私の隣にずっとおられ、彼ただ一人が、私の苦しみを一緒に背負ってくれたのです。
それを知ったときに、私が長年抱いていた疑問が解けました。
私は何なのだろう:私は神の子供であり、彼に従うものなのです。
神は私のために死んでくださり、私は、彼に与えられた使命を果たすために
この世界に生きているのです。

神様は私を2度、目覚めさせてくださいました。一度目は聖書を学びなおしたとき、
そして二度目が私が鬱状態だったときです。

私はとても弱く、欲望だらけの人間です。
いつでも楽な方へ進んでしまう癖があります。
私が何度も道を外れるたびに、神様は辛抱強く私に道を示してくださり、
私が戻ってくるのを待っておられました。
私が戻ってくるたびに、神様は祝福してくださいました。
今までに出会ったすばらしい友人達は、祝福の最もたるものです。
私にとって友人は、かけがえのない財産であり、宝物のような存在です。
今日、私はこの教会で洗礼することにより、公に私がイエス様を信じ、
教えに従う事を表明します。
ここまでたどり着くのに、また1年程かかりましたが、
神様はまたも、辛抱強く、私に鮮明なイメージを用いて、洗礼を受けるように導いてくださいました。
最後に、今日こうして集まってくださったたくさんの友人に、また私を覚えてくれている遠くの友人たちに、
感謝します。そして、皆でこの場所で幸せを分かち合う事が出来る事に、感謝します。
[PR]
by pussochkram85 | 2009-10-31 12:50 | 神と歩む

聖書に「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを閉め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、
恐れる者には愛が全うされていないからです。」とある(ヨハネの手紙一 4.18)

神様、それってすっごく難しい。

私は人を愛する事に、ものすごくオクテだ。
傷つくことが、物凄く嫌だから。聖書の語りは、もっと人類的な愛情なんだけれども、
これを読むといつも恋愛の事を思う。
私は恋愛に関してはいつまでも赤点の、
できの悪い生徒だ。

これもミクシィには書けない、グダグダの失恋話だ。気持ちの整理がついたから、
こうやって書く事ができる。

去年まで、付き合っていた人は、一度分かれたあと、また付き合った。
ヨリが戻ったときは、出来る事を全てやって、なんとか直そうとして、
何とか前みたいになれないか、ってがむしゃらになってて、
気持ちはいつも焦っていた。
12月に久々に会って、キスもハグも出来ない自分に泣いた。
個人的に性交渉にそんなに興味があるわけではないので、そういう事も勿論なかった。
したくなかったとかのレベルじゃなく、不可能だった。
ただただ、お腹が痛かった。冬のストックホルム。
「笑顔になれない関係なんて、恋愛じゃない」と昔言われたことがあって、
結局この2年半は、特に最後らへんは思い返すと笑顔になれない時間のほうが多かったかもしれない。
電話で、「遠距離無理」って、あっさり言われて、別れて、泣いた。
とりあえず、毎日ぼんやり泣いた。向こうにすぐ彼女ができて、物凄く落ち込んだ。
6月くらいまで、ずるずる引きずっていて、周りの皆がゆっくりと、私を癒してくれた。

傷つけないくらい傷ついた。うつにもなった。ご飯も食べれなくなった事もある。
自分を傷つけることもやった。出来る事なら、なんでもやった。
それで自分が、彼を受け入れられるなら、なんでもやった。
あほじゃねーかと思う。ただの自己満足だったんだ。

また恋をして、人を愛して、またそうやって傷つくんだろうか?
また自分も失ってしまうんだろうか。
人を愛するって、こわい。ずっとそう思っていた。

先日、洗礼を受けてから、少しずつ、変わってきた自分に気づいた。
また恋をしよう、また人を愛そう、神様が大切な人を、きちんと用意してくださる、と思えるようになった。
光が見えるといい。やさしく、あたたかく、はぐくんでいければいい。
[PR]
by pussochkram85 | 2009-10-30 04:49 | 神と歩む

ロジック


私の中には、まったくロジカルでない思考が多数存在する。
このブログだって、まったく誰のためにもならない、ただの吐しゃ物に近いものがある。
排泄物よりも吐瀉(としゃ)物だろう。消化し切れなかった言葉たち。
大事なものも、含まれている。
その吐瀉物に近い物体に、私の一番の正直な気持ちが含まれていると、
それを他人に知ってもらいたいと、言うと正直どこのマゾかと思う。気持ち悪い。
でもほんとなんだよね。

ここから得られるものって、何にもない。
知識として吸収できるものも、共有できるものもない。
それなのに、この「知ってもらいたい」という願望の強さ。
奥底の傷と他人にペロリと出して、悲しんでほしいと思うのか。
哀れだ。

まったく、ロジカルではない。
[PR]
by pussochkram85 | 2009-10-29 21:42 | 暗め

朝六時


静かに、夜明け前を走るバス。信号の赤、黄、緑がとろりと黒い海に飲み込まれていく。
ひとつ、またひとつ、光が消えていくのを見ると、
まるで、世界がこのバスを除いて全て静止しているようだった。
ディズニーの不思議の国のアリスで、アリスが道に迷って引き返そうとすると、
ブラシの形をした犬が道を全部はいてしまって、道がなくなっているシーンがある。
あのシーンを見るときのような、ちくりとした不安に気づく。

うつろな頭でぼんやり流れ去っていく外を見ていると、
自分は、なんてちっぽけなんだろうと思った。
烏色をしたタールのような雨が、窓をたたく。
そして思考の波に、溶けていく。


ちっぽけな、ちっぽけな。

弱い、私。
[PR]
by pussochkram85 | 2009-10-29 21:08 | 暗め

プライド

ミクシには書けない事がこんなにも多かったとは。

なんでかけないんだろうね。実務的な事はぬきにしても、わかってくれない、って勝手に思ってるんだろうな私が。きっと理解してくれるんだろうな。でもあえて見せたくない。
特別でいたいのかな。他人と線を引きたいのかな。

ちっぽけな私のプライド。なくなってしまえば、
人生はもっと楽になるんだろうか。

元彼に、こないだ会った。彼の彼女とも、あった。
もう違う世界に生きている人間なんだ、と、見た瞬間に思って、めまいがした。
2年半ほど、一緒の道を進んでいたはずなんだけど。
すれ違っただけだったんだね。
手相占いの姉ちゃんに「あんたの人生は見えない。道が色々ありすぎる」
と占い放棄された私は、これからどのような人生を進んでいくのか、まだわからない。
やりたいことはある。でも、それが神の御心でないのなら、
私は喜んで別の道に行ける。それが、思いもよらない道だとしても。
ひとつ、わかっているのは、元彼と、私は、これからの人生でまったく交わることが、もうないだろうという事。
悲しいけれど、現実としてわかってしまったので、受け入れることにする。
なぜ悲しいなんて思ったのかわからない。
遠い親戚の人が死んで、葬式でお別れする時の気分に似ていた。
幸せになってくれ、と毎晩祈ることもない。私にはもっと、大事な意味を持った人がいる。
うそ、たまに祈るけど。なんか意味があってすれ違ったんだと思うから。
でもね。
Life is so much better without you,dan.
[PR]
by pussochkram85 | 2009-10-29 20:38 | 暗め

かわいく


生きろってか。ふざけんな。
私はかわいくなんかないよ。きれいでもないよ。
頭はまぁ悪くないかもしれないけれど、とりえなんかほとんどないよ。
私は、私なんだよ。

女性らしさ、を考える事が多い
女性らしさを、身に着けたいと最近強く思う。

そこで違うのは、「女とはこういうものだ」という固定観念に強制されることと、
「女とはこういうものか」と発見していくこと。

女らしくあれ、と強制されて生きたくはない。
「こうあるべきだ」という固定観念に押さえつけられて、呼吸ができなくなって
次第に死に絶えていく。そして腐っていく、その紫色にうら光する肌からウジが這い出てきて、
それが他人に飛び火する。
迷子の子犬みたいに、歴史には「女性」であることで死に絶え、腐っていった
ゾンビの行列が何をするでもなく、たたずんでいる。小首をかしげて、小さな黄色い花束を持って。


だから、私は自分で女らしさを選び取る。


こないだ土偶を見ていて、女性らしさの一片を垣間見た気がする。
「やわらかさ」。
豊満な女性の体をとてもシンプルに表現した土偶は、とても美しかった。
縄文時代の、何百年も前の人が、純粋にその「生物」の本質を、その人の心の本質を
つかみとって、形にした作品だ。
ああ、これか。と思った。
別に体型の事を言ってるのではなく、土偶から見える、しなやかさ、やわらかさ。
何もかも、受け入れてくれるんじゃないか、という錯覚を覚える。
母が、祖母が、曾祖母が、その先祖が、受け継いできた女性らしさ。
強くあれ、やわらかくあれ。女よ。
[PR]
by pussochkram85 | 2009-10-29 20:03 | 暗め

10月29日


なんか、ブログをやりたい気分になった。
やりたくない気分になったら、やめるはず。きっと半年くらいかな~期間限定。

消化できずにたまっている、私の言葉たちを垂れ流してみようと、思っています。
意味不明な物が多い(私にも意味不明)けれど、まあ垂れ流してるので。

ひっさびさにEagle Eye CherryのSave Tonightを聞きたくなった。
なんか好きだったなーこの曲。

Go on and close the curtains
cause all we need is candle light
You and me and a bottle of wine
going to hold you tonight
Well we know I'm going away
and how I wish, I wish it weren't so
So take this wine and drink with me
let's delay our misery

Save tonight
and fight the break of dawn
Come tomorrow
tomorrow I'll be gone
[PR]
by pussochkram85 | 2009-10-29 19:41