言いたい放題


by pussochkram85

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調弦

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息を呑むように忙しい旅行をこなして、
心はちょっとだけすさんでて。
(誰かと旅行するっていうのが、
私はどうやら苦手らしい。)

帰ってきて、写真をパラパラ見ながら、
友達はでも、やっぱりすばらしいと思う。
それぞれがすばらしいものを持っていて、
尊敬する。
やっぱりみんなに出会えたことは、すごい事だなぁと。
そしてスウェーデンで出会えた友人は、本当に宝だと思う。
(マンチェで出会った人々も私には大切な友達)
みんながみんなを補い合って、調和の取れた人たち。
とても居心地がいいんだ。

景色の写真をいっぱい撮っていて、
それを見ていて、やっぱり神様っているんだと思った。
私がコペンハーゲンで見た景色は、こんな写真で写る物より何千倍も、美しかったからだ。
こんな素晴らしい景色と、それを見ることができる性能の良い目を与えてくださったのは、
神様だと思うよ。うまくいえないけど。

正直、旅行してる間は、御言葉とか忘れがちだった。
心はすごく疲れていて、でもアドレナリンでテンションがあがって、すごく変な感じだった。
それはそれで楽しいんだけど、心に居場所を作ってあげることは大事。
家に帰って、やっと聖書を開いて、ホッとした自分に気づいて、
どれだけ魂が乾いていたのかも知る。

恵みは、果てしない。
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by pussochkram85 | 2010-05-30 18:58 | 神と歩む

壁の言葉

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壁にいい言葉とか貼っちゃう人なんですけど。
いつも忘れがちで、読み返すとはっとさせられる言葉があると、
嫌なこととか悩んでいるときに、時折元気付けられます。

この壁をぼんやりみていて、気づいたのは、
かなりの頻度で「愛」に関するクオートが貼ってあった事。
自分ではきづかなかったけど、たとえば:

「大人というものは、どんなに苦労が多くても、
自分のほうから人を愛していける人になることだと思います」(出所不明)

「貴方の努力して得てきたと思うすべてのものを、
すべて取り払って、そこに残ったものが愛なのです」

とか。そして私が一番好きなのが、「逆説の10か条」ってやつ。(Xヶ条モノがすきなのね)

以下英語版と日本語版。

'The Paradoxical Commandments'
by Dr.Kent M Keith

People are illogical, unreasonable, and self-centered.
Love them anyway.

If you do good, people will accuse you of selfish ulterior motives.
Do good anyway.

If you are successful, you will win false friends and true enemies.
Succeed anyway.

The good you do today will be forgotten tomorrow.
Do good anyway.

Honesty and frankness make you vulnerable.
Be honest and frank anyway.

The biggest men and women with the biggest ideas can be shot down by the smallest men and women with the smallest minds.
Think big anyway.

People favor underdogs but follow only top dogs.
Fight for a few underdogs anyway.

What you spend years building may be destroyed overnight.
Build anyway.

People really need help but may attack you if you do help them.
Help people anyway.

Give the world the best you have and you'll get kicked in the teeth.
Give the world the best you have anyway.

日本語版

「逆説の十か条」
ケント・M・キース

人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
   それでもなお、人を愛しなさい。

何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだ
   と人に責められるだろう。
   それでもなお、良いことをしなさい。

成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
   それでもなお、成功しなさい。

今日の善行は明日になれば忘れ去られてしまうだろう。
   それでもなお、良いことをしなさい。

正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
   それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。

最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった
   最も小さな男女によって打ち落とされるかもしれない。
   それでもなお、大きな考えを持ちなさい。

人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。
   それでもなお、弱者のために戦いなさい。

何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れさるかもしれない。
   それでもなお、築きあげなさい。

人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
   それでもなお、人を助けなさい。

世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
   それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。



これを書いた人は、そのとき大学生だったんだけど、
挑戦する意味で書いたらしい。
「人が評価してくれなくても、むしろ酷評しても、良いこと、正しいこと、真実なことを
実行していけるか。という挑戦。
「この世界をすみやすくする」という仕事は、他人の賛辞に依存しては絶対にできない。
何が何でもそのための努力が必要だ。
なぜなら、世界を住みやすくする事が達成されなければ、
ここから先の未来で起こるべきだったことは、確実に起こらないから。」
みたいな事が彼の言葉として書いてあった。

何が良いことで、正しいことで、真実なことなのか、
私はクリスチャンとして学びの最中にある。多分全部の答えは、天国で知るんだろう。
私の目には正しくなくても、それが実は正しいことだってよくある。

普通に生きていると、私は今までに何度も何が正しくて、何が間違っているのか、
区別がつかないことが多かった。「戻るべき出発点」が、なかったからだ。
生きていて、「人殺しはいけない」とか、そういう基本的なことはわかっていたとしても、
それは最低限の「してはいけない」だ。それさえ守ればいいのか?
じゃあ自分の快楽を求めることは、自分の欲求に対して正直で、自然の摂理だから、真実ではないか。
って思うし、そしたら、たいていのことは「正しいこと」になる。酒を飲んでおぼれたければ溺れればいい。
浮気したければすればいい。みたいに。倫理観念っていうのも入ってくるんだろうけどさ。良心ね。

ずっと「やりたきゃやればいい」スタンスだったんだけど、クリスチャンになって、
魂が取り扱われる中で、私はだんだんと、真実の辛抱強さと、美しさ、自分には絶対的にかけていて、
のどから出が出るほど欲しい美しさがあることに気づく。
だから学びの中で、感じ取っていければ良いと思う。自分に当てはめて、
ほかの人たちに発信できればいい。
人を愛することは、深い深い作業だよって。正しいことは、真実は、これほどまでに強いよ。って。
いつかね。
やりたきゃやればいいスタンスは、完全には消えていないけど、
多分完全に消さなくていい気がする。裁くことは、私の仕事ではないから。
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by pussochkram85 | 2010-05-21 18:25 | 明るめ・落ち着きめ

ブスの25か条


いつも取ってるメルマガに面白いものが載ってた。
宝塚の楽屋にはってあるらしい、「ブスの25か条」。
別に女性じゃなくても、当てはまる内容かと。

「ブスの25か条」

1.笑顔がない
2.お礼を言わない
3.美味しいと言わない
4.精気がない
5.自信がない
6.愚痴をこぼす
7.希望や信念がない
8.いつも周囲が悪いと思っている
9.自分がブスであることを知らない
10.声が小さくイジケている
11.なんでもないことに傷つく
12.他人に嫉妬する
13.目が輝いていない
14.いつも口がへの字の形がしている
15.責任転嫁がうまい
16.他人をうらやむ
17.悲観的に物事を考える
18.問題意識を持っていない
19.他人につくさない
20.他人を信じない
21.人生においても仕事においても意欲がない
22.謙虚さがなく傲慢である
23.他人のアドバイスや忠告を受け入れない
24.自分が最も正しいと信じ込んでいる
25.存在自体が周囲を暗くする

とまああるわけですが。
これがわざわざ「ブスの25か条であり」
「美人の25か条」として貼られていない(つまり、1、笑顔がある等、美人の条件ではなく逆を書いてある)
事に、私は面白いと感じた。
ブスの25か条のほうが、何故だかもっとグサッって心に突き刺さるのは多分、
美人は、なろうって努力する事が多いけど、
ブスはなりたくない、って努力するほうが多いせいだと思った。
つまり、美人になることはすべての人が到達できるものではないけれど、
ブスになることは、おそらくほぼすべての人が到達できちゃうから、
この「なりたくない!」は強く作用するんだろう。

これ読みながら、あーマジでこれやばい!とか、良くある!って思うもん。
「謙虚さがなく傲慢である」とか「自分がもっとも正しいと信じ込んでいる」とか「なんでもないことに傷つく」
とか!あー。私こういうところでブスなのか!ってはっと思わされます。
わざとネガティブに書いてあると、こんなにも考えちゃう。
もしこれが「美人の25か条」なら、なんとなく素通りしちゃうと思う。
「私には関係ないー」って。別に美人でなくてもいいから普通がいいな、とか、
言い訳しちゃいそう。

背筋が伸びます。
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by pussochkram85 | 2010-05-21 07:56 | 明るめ・落ち着きめ

復習のーと

ちょっとすっきり。
頭おかしいよって思っている自分をそうではないと語ってくれる友達がいることは、
大切です。
明日のテストに向けてアドレナリンを一応ためておかねば・・・・朝起きれるか!?
っちうかテストって意識がまったくない・・・いいんだか悪いんだか。


明日のテストはgreen politics。環境問題は政治的にどういう風に取り扱われているのかについて。
<復習ノート>
1.ジェームスラブロックのガイア理論は、現代環境問題を語る中で、重要な位置をしめているのか?

ガイア理論は、
「地球はガイアと呼ばれるシステムの中で、生存していて、ガイアは地球生命体と環境のすべてを
無意識的に、無機質に管理している。」っていう理論。
(細かく言うと、地表から100マイル下がった地中から、100マイル上空の宇宙すれすれまでの空間には、生命圏というものが存在し、その範囲内で地球は自己管理能力を持ち、体系的に生命、環境を管理している)
こういう考え方をする人は多いですね。
そしてガイア的には、今の地球はそろそろやばい。
そろそろガイア的にも、気温を上昇させたり(地球温暖化)、氷を溶かしたりして、バランスとりながら、
必要ならば種の絶滅(人類滅亡!)を持ってしても、地球を維持していかねばならない。
らしい。ラブロックいわく。
ガイアはギリシャの地球の女神。確か。
人っぽいイメージだけど、ラブロックはあくまで、無機質的なシステムだと言う。

ダーウィニストからすると、生命体や地球環境の進化の過程は、それぞれの環境適応能力の
結果によるものであり、外からそれらの進化が「管理」されたという理論は成り立たない、
らしい。
この批判を受けて、ラブロックは「デイジーワールドモデル」を提示。
地球が、白のデイジー(熱を遮断する)と、黒のデイジー(熱を保温する)で構築されていると仮定する。
地球ができたてのころには、暗闇だった。太陽の温度もそこまで高くはなかった。
そこでは、黒のデイジーが多く咲き、得られる熱を吸収し、保温して地球環境を整えてきた(生命体の誕生、植物や海、川などの自然環境の登場)。
何年もたつと、太陽の温度はますますあがっていく。光が地球に増えるにつれて、今度は白いデイジーが
盛んに繁殖し、熱を遮断し、地球の温度を下げようとする働きが見られる。
このように、地球は(ガイアは)地球を無意識的に、管理している。
(この辺あやうや。逆だったかしら・・・)

ダーウィニスト的には、「シンプルすぎて多様性に適応できるモデルなのか」とあまり納得してないようだけど、
まぁ反論もできないモデルではある。

ガイア理論は、ヨーロッパでは少しずつ認められつつある。2001年のアムステルダム宣言にて、4つの科学技術調査プログラムにおいて、「地球は、自己管理能力を備える生命圏を持つものである」という文章が加えられた。これは、ヨーロッパにおいてガイア理論が多少なりとも評価されてきている証拠でもある。

環境運動家にしてみれば、ガイア理論はうれしい発見。なぜなら、環境運動家はよく、
根拠や証拠が化学的に証明されてないのに「温暖化だ」とか「リサイクルせな」って言ってるって、
文句言われてるから。化学者としても名高いラブロックの科学的に証明された理論で、地球はそろそろやばいぜって言われているなら、それはかなり好都合だ。
ただ、ラブロックは環境活動家に寄与しようと思ってこの理論を発表したのではなく、
あくまで科学的根拠に基づいたデータを発表しただけだ、というのも本当の話。
その証拠に、ラブロックは環境活動家がよく言ってる、持続可能なエネルギー開発を一刀両断、
現存する唯一のエネルギーとして有効なのは原子力しかない、という意見の持ち主。
特に風力発電は、得られるエネルギーが少ない上に管理費がかかりすぎる、と大反対。
あとはオーガニック農業についても、化学者的には「すべての農薬が危険というわけではない。盲目的に従うことは間違っている」としている。
ラブロックは、今年3月に英国誌ガーディアンでのインタビューで、人類は地球温暖化をとめるには無力すぎると発言し、現在批准されている環境条約やポリシーに苦言を呈した。

これらのことを考慮すると、ガイア理論は環境活動家の意見を強く後押しするためには、大いに役に立つ理論であり、そのために現代環境問題を語る上で、重要な位置を占めているといえよう。
しかし、提唱者であるラブロック自身が環境活動家のポリシーや意見と真っ向から反対しており、
それゆえにガイア理論は現代環境政治に矛盾点を与えるともいえる。
つまり、ガイア理論は現代の環境政治において、必ずしももろ手で歓迎されるべき理論ではないということだ。

よし・・・・これで一問完成!
あと・・・2問!吐血。

神様。私はあなたの取り扱いの中にいます。
どうかあなたの御名が世界中で褒め称えられますように!
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by pussochkram85 | 2010-05-20 07:39

Lord's Prayer

もしもあなたが雨に濡れ、
言い訳さえもできないほどに、
何かに深く傷ついたなら
せめて私は手を結び、風を綻ぶ花になりたい。

たとえこの身が果てるとも、
そよぐ島風
願いに染まれ。

中 考介「花」

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英語のLord's Prayer、日本語でむかし祈っていた。カトリック系の学校に通っていたころ。
意味はぜんぜんわかっていなかったけれど。主の祈り。今の私には、とても大事な祈り。
それの琉球語(古語)バージョンを発見。覚えたい!!
以下、英語、日本語、琉球語の「主の祈り」。比較すると面白い。


<英語>

Lord's Prayer

Our Father in heaven,
hallowed be your name,
your kingdom come,
your will be done
on earth as it is in heaven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins,
as we forgive those who sin against us.
Lead us not into temptation,
but deliver us from evil;
for the kingdom, the power and the glory are yours,
now and forever, Amen

<日本語>
主の祈り

天におられるわたしたちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
御心が行われますように。
天におけるように、地の上にも。
わたしたちに必要な糧を、今日与えてください。
私たちの負い目を許してください。
私たちも、自分に負い目のある人を赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、
悪いものから救ってください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのもの。
今も、そして常しえに。
アーメン。

<琉球語>(おそらく首里スタンダード方言)

うてぃんに いめんせーる うまんちゅぬ ちちうやがなしぃ
ちゆし うんな あがみらりみせーびり
くぬゆぬなかん てぃんぐくとぅ なちうたびみせーびり
わったー ひびぬ ために ひちゆうなむん 
ちゅーん うたびみせーびり
わったー ちみん ゆるち うたびみせーびり
わったーん ちゅぬ ちみ ゆるさびーん
やな まゆいぐとぅんかい ひかさらんぐとぅ
あくから すくてぃ うたびみせーびり
(うにげーさびら)
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by pussochkram85 | 2010-05-18 04:41 | 神と歩む

掃除


さっぱりしちゃおうと思い立ち。
ワードローブを整理。チャリティにもってくやつを出したらほぼ空っぽになった。
・・・どんだけ服を買ってこなかったのか私。かなりの勢いで最低3~4年は着てる
服と靴が多かった。

そして自分の心の中に見つけた、からしだねほどの未練?というかグズグズした想いは
捨てていく方向性で。
書いちゃわないとほうっておきそうだから。引きずるのは体に悪い。
やっぱり自分も大切だ。

怖いですが。捨てちゃう。
またいつの日かであったら、
また初めからやり直すさ。

人生の新しいフェーズがそろそろ始まる。
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by pussochkram85 | 2010-05-17 08:16 | 明るめ・落ち着きめ

遠くの君へ、近くの君へ



お疲れさま。がんばったね。
みんなが日曜日ゆっくり休めたのかなってふと考えると不思議な気分になった。
遠くの人や、近くの人や。みんな。

私は神様に、「愛が足りてないですよ、國吉さん」って言われちゃった。
がつんと、言われちゃった。
他人に対してもそうだけど、自分を愛することを、していませんでした。
自分を愛することは、自分を甘やかすことではないと、最近気づいた24歳の春。


明日からまた月曜日!
全力尽くして生きてみようって、今日ディムサム食べて思ったよ。
ありがとう。

どうでもいいけど、お疲れって言葉、ねぎらってるんだろうけどネガティブに聞こえる。
でも「ご苦労様」もよりネガティブな日本語。
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by pussochkram85 | 2010-05-17 02:20

不器用さんの声


あー。会いたい。
って人、いるんですよ。いやほんと。

惚れた方が負けっていうのは、あるんだろうね。
浮いたり沈んだりで、なんだかんだでなにやら長いこと
片思いのようなことをした人もいる。
人事みたいに思い出すけれども、
初めてあった日に、一瞬時間が止まったのはその人が初めてだ。
タイミング、人生のスピード、目標や夢やそういうものは、
私のお腹に飼っている蝶々と、出会わないままに。
最近ではもう、それどころではなくなってきて、でもふとさびしいな、会いたいなとは思って
そわそわする。そういう存在。

それにしても自分にうそをついてまでも否定したかった片思いも初めてだ。
うそをつきすぎて深く深く隠しすぎて、もうわからなくなった。
まっすぐに自分を見せることをこんなにも躊躇した相手も初めて。
おかげで自分が汚くて仕方なくて。怖くて怖くて。
でも人として、一人の友達として、本当に大切な人だということは、
本当の気持ちだ。
だから、それを信じてみようと思う。

どんな出会いでも意味はあるというのは、真実だ。
ただ、であった意味は必ずしも私の感情と一緒ではないということも、事実だ。

いい加減に進まなきゃなぁ。
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by pussochkram85 | 2010-05-15 20:43 | 詩とか、考えた事

沈黙の力、余白の強さ

最近よく感じるのは、会話で途切れたときの「沈黙」や、
本で意識的にあけられた「余白」のすごさだ。

ただの白い紙、何も生み出されない無の時間なはずなのに、
その空白の時間やページは、私のいろいろな思いを引き出してくれる。

たとえば余白。本の最後とかにある余白は、
「あぁこの物語のこの人は、起こった出来事をどういう風に捕らえたんだろう」
「私ならどう思うだろう」
「私はこの本を読んでどう味わっただろう」
って、思い返す場所になる。

それ以上に、沈黙や余白は、言いたいけれど言わない(いえない)事を
言葉にせずに伝えることができるツールでもある。

おしゃべりを長くできる人も大事だけれど、
沈黙が心地よい人を求める傾向があるのは
きっと「思いを掻き立ててくれる人」がほしいと感じているからかなぁ。
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by pussochkram85 | 2010-05-15 07:57 | 詩とか、考えた事

弟子が面白すぎる件



今日の教会で、イエスの弟子の話があった。
ペテロ(改名前はシモン)って、世界で最初の教会の長になって
最後は「キリストと同じでは恐れ多い」と、自ら逆さ十字で処刑された
すごーーーく勇敢で偉い人ってイメージだったんだけど、
この人、若くもないのに奥さん置いて(多分)イエスに従い、
考える前に行動して失敗し、言ってはいけない事をすぐ口にしてしまう、
まったく空気の読めない無鉄砲なオジサン(一昔前風に言うとすごくKYな中年)だったとか。

確かに、聖書は彼についていろいろ書いている。

船に乗っているときにイエスが水の上を歩いているのを見て、
「俺がそっちに行くから!」と水上を歩き始めて、ぶくぶく溺れかけたり
ローマ軍がイエスを捕まえに来たときに、考えなしに兵士の耳をぶった切ったり
「俺イエスなんて知らないよ!」と3度も言っちゃったり(しかも方言丸出しの自分のしゃべりでそれがバレたという)、
キリストが復活された後に、これまた漁をしている時に船の上で、
キリストが向こう岸に立っているのを見て、「イエス様だ!」と
海パンだったのにも関わらず何故かまた服を着込みざばざば泳いでいったり・・・・。

とにかく、この人考えてない。
(特に海パンだったのに何故かまた服を着て泳いだところは笑かす)
でもこの人、すごくすごく正直で、熱くて、まっすぐなのがよく分かる。
そして何度失敗しても、KY発言しても、へこたれなかった。
多分ものすごく凹んでたとは思うんですよ。毎回毎回。
だって私もペテロみたいだもん、そしていちいち私も凹んでるもん。
「俺さ、もうキリストの弟子でいる資格なんかないよ。マジでさ、こんな失敗ばっかでさ、
多分キリストも失望してると思うし、俺もマジ自分で自信ないよ、魚つってる方が性にあってるよ・・・」
って感じだったんじゃなかろうか。

でもさ、毎回毎回、多分凹むたびにペテロはイエス様に慰められてきたんだろうな。
これって私の空想だけど、ぶくぶく沈みかけてるペテロをみたり、
上着をわざわざ着込んで、ばしゃばしゃ泳いでくるペテロをみたり、
奥さんも仕事もほっぽりだして、すぐについてきたペテロを見るときの
神様の顔は、多分とってもやさしかったと思う。
はいはい、って助けてくれたり、たまには叱ってくれたり、多分暖かく見守ってくださっていたと思う。

そうじゃなきゃ、多分ペテロは最後まで与えられた使命を成し遂げられなかった気がする。
キリストの処刑前に、シモン(ヘブル語の「聞く」をギリシャ語音訳したもの)は
ペテロ(ギリシャ語の「岩」)という名前を与えられる。
そしてキリスト復活後のペテロは、本当に「岩」のようにがっしり、しっかりと信仰を守りきった。
キリストの復活前と復活後のペテロの姿には、驚くべき違いが見られる。
これがあのおっちょこちょいのペテロ!?って感じ。
そして最後には、がんとした信仰で、ローマ軍により逆十字で処刑される。

ペテロの話を読んでいて、ものすごく自分と重ねて聖書を読むことができた。
私もさ、突発的に考えずにいろんな失敗してきたし、今もするし、
言うべきでないことを最悪のタイミングでしゃべる名人だし、
多分ペテロと同レベルでおっちょこちょい。
でも、多分イエス様はそれを、ペテロを見ていたように、
暖かく見ていてくれているんだ、と思うと、本当に心底、自分が自分であれて、
自分を必要としてくれていて、絶対何があってもそばにいてくださる人が、
本当に生きているのか、と驚きにも似た感動を思う。

やっぱり、前向きに生きていこう、と単純に思える私最高。
こんな私を造ってくださった神様最高。
小さなワクワクと、幸せが体中に満ちた日曜日でした。
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by pussochkram85 | 2010-05-10 07:28 | 神と歩む