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言いたい放題


by pussochkram85

私が生きているという事。


目を瞑って、深呼吸した、その瞬間。

世界で何万人が、死んでいるんだろう。

瓦礫(がれき)の下で、助けを待つ人々がどれだけいるんだろう。


政治なんて勉強しちゃうと、貧困で死んでいる人とか、
毎日1ドル以下で生活する人とか、そういうものを数字とかで見る。
毎日見る。それを扱って、論文なり、課題を書いていくんだ。
手垢をベタベタにつけて、その数字をこねくり回して、自分の意見に沿うような
「数字」と「理論」をはじき出す。
そういう事ばかり、この数日やっていたからかもしれない。

今日、ハイチ地震のニュースを読んだり、調べたりしていて、
実際に起こっていることに、無感覚な自分を見つける。
何だか、心が慣れてしまっている。そういう自分がショックだった。

「不謹慎な話だけど、災害が起きると正直ワクワクします。」
というのは、国連で働いていた時に、職員の人が言っていた言葉だ。
なんとなく、その気持ちも分かる。
誤解を恐れずに言えば、彼らにとっての「活躍の場」が与えられたのだから。

だけど、それは本末転倒だとも思う。


神様は、私に、この世界でなすべき事がまだあるから、
生かしてくださっている。
責任は、大きい。
私は、今死んで行くたくさんの子供たちの未来と、
沢山の人々の、ささやかな願いと、
今流される何万の人々の涙を、背負って生きていくからだ。

私は彼らを直接知らない。
でも、何らかの形で知ってしまったら、私は、自分なりに彼らを弔いたい。

与えられたものに感謝して、
忠実に、なすべき事を行って行く事が、私の彼らへの弔いだ。



国連機関なんて、暇で暇で仕方なくて、いつの日か、なくなる。
そういう日が、やってくればいい。

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最後に、女性として、「生きる」という事を見事なまでに描き切った詩を紹介。
長いけれど。この詩はいいんだ。
最後のところを、いやしくも政治を勉強する者として、女として、
自戒していきたい。


「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
石垣りん


それは長い間 私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、

自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や

お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や

却初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

その人たちは どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、

ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり

台所では いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など 繰り返せたろう?

それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。

炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、

そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても おそくはない

私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく、 全部が
人間のために供せられるように

全部が愛情の対象あって励むように。
by pussochkram85 | 2010-01-14 06:36 | 詩とか、考えた事